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もりげのどうかと思うような日記

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2005年11月04日(金) モロッス人て一体

クラシック音楽と世界の中心デバイス

人の書いた音楽を演奏する、ってのはやっぱり一種の対話なのである。

しかし、対話と言ったって、相手は既に死んでいたりするわけで、そうなるとその形は特殊なものにならざるを得ない。

要するに、相手はもう言いたいことをぜんぶ言ってしまっているので(うまく言えているかどうかは別として)、その内容を演奏者はじっくりと読み解いていくわけだ。読み解いた過程は演奏へと反映されて、そこで対話がはじめて成り立つ。直接的な対話ではなくて、作曲家も演奏家も、何らかの形でアカシックレコードのような、理想的でえいえんで完全な「世界の中心デバイス」にアクセスし、そこで得た情報を聴衆ともども共有しようとする。正しい姿があるとすれば、そのようなものだと思う。

相互コミュニケーションってのがそもそも原理的には成り立ってなくて幻想の産物なんだとすれば、いかなる形であれ、心の叫びを誰かにきかせようとする行為ってのは仮想の「世界の中心デバイス」にアクセスしようとすることなんじゃないのかね。それは対話と変わらないんじゃないのかね。そんなことを考えた。

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