たとえば麻雀で、嵌張はずっぽり引いてくるは、あとからリーチして一発で和了るわ、なぜか裏ドラは乗りまくるわ、やることなすこと全部うまくいく、東1局で連荘を重ねたあげくそのまま対面をハコにして満面の笑みを浮かべた男がここにいたとしよう。そいつはその瞬間、幸せかもしれない。
だが考えてもみたまえ。先にリーチしてはふりこみ続けた対面は、やることなすこと全部うまくいかなかったわけだ。しかもその幸せ男に邪魔されて、だ。幸せ男の笑みは、彼にとってどう映るというのだろう? 心の中にある理不尽な結果への怒りは、幸せ男への憎しみへとすりかわっていくのだ。
対面だけではない。ほかの3人はみんな恨んでいる。4本場にもなっていい加減ウンザリしてきたところに、なぜよりによって東がドラになるのか。しかもドラになった東がどうしてまた幸せ男の配牌の中で対子になってなきゃならんのか。
おまえ何ポンさせてんだよ。
いや俺わるくないっすよ。
……そうだよな。考えてみれば……悪いのは――
「「「こいつだ!」」」
誰かが好運をつかみ、幸せを満喫すると、世の中にはそれだけ憎しみが増えてゆく。悲しいけれどそれは真実。
いや、そんなんじゃだめなのだ。誰にだって、ツキが回ってくる瞬間がきっとあるのだ。だから、人の幸せは素直に祝おうではないか。九連宝燈をあがれる日だってきっと来る。
……こねーよ。
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