最近つらつら考えてることは、大体はネットワークと意識という幻想と言語とに関することなのだ。
とか言うとちょっとカッコヨクないか、俺。ほんとのところは、考えるほどの知識も判断力もありはしないし、何かおもしろいことを思いつくほど発想が豊かなわけでもないので、じゃあなんだ、
「下手の考え休むに似たり」
それだけだ。
ぶっちゃけたことを言うと、最近なにか物を考えている気な人を見ると微妙にイライラしたりするんですよ(自分がなにやら不穏なことを言っている自覚はある)。いやもちろん、「考えてる」内容にもよるわけですけど。
宇宙の構造にも人類の進化にもまるで興味ないくせに、自分の孤独とか愛とか不安とか、そんなものを詩的にうたいあげるのはよしてくれよ、みたいな。わかってるよ俺がおかしいんだよ。
でも、なにやら言葉を――あらゆる意味で歴史によって塑像されたあてがいぶちの道具を――こねくりまわして悦に入っているようだけど、その言語思考の流れ自体をかけがえのない物だと勘違いしていたりしないか。
自分の感じている物事を本当に愛しく思える人への僻みだ。そんなことは百も承知だ。でも、そればかりじゃないと思う。一片の真実はあると思う。
ホモ・サピエンスの1個体なんていうつまらないものが、何かもっと大きなものの歯車にすぎなかったとして、それは受け入れがたいことだったりするだろうか? ぼくは別にそれで構わないな。少なくとも今はそう思える時期らしい。
個人の死だとか愛だとか幸せだとかをさも大切そうに主題にしてきた創作の世界だって、そろそろそんな生ゴミの山から抜け出して構わないんじゃないのか。
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