なんかこう、書影を載せたくなるような装丁だと思いますよ。『ブルースカイ』。
「少女」ってものへの感覚がこの作者と自分とではたぶん違うんだ、ということを考えた。いや、そんな「少女」がどうしたこうしたとか考えてる場合じゃないし、考えなくていいと思うんだけど、でも考えた。
ここでは、成熟を迎えない存在である少女が、成熟に向かうことを忌む、あるいは成熟する機会をあらかじめ喪失した者として描かれる。それは若干ネガティブな印象を纏っている。
ぼくの中で、少女は強い憧れを捨てずにいる生き物なので。何かひとつの、ごく何気ない夢を描いて、それに対する衝動で歩んでいける生き物なので。Kanon舞シナリオのラストのように。
って、それはしかし現実の少女ではなく、桜庭氏は現実の少女について語っているというだけの話なのであった。しかしねえ、ぼくら「青年」は、お話の中の少女であるかのごとく生きることを選んだっていいのではないかね。
我ながら、気持ち悪いですね。しかし、なんつーか自分も含めて社会の一部がどこか少女化してるってのはたまに感じるんだよなあ、確かに。
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