私にとって、人とコミュニケーションする際の最も大きな弊害がこれだと思う。直接喋るよりもこうしてキーボードを打っている方が、自分の頭の中身をそのまま伝達できるような気でいる。それが本当かどうかはわからない。しかし、メールを書く、というコミュニケーション方法への過剰な期待があることは事実である。
いや、コミュニケーション以前の問題なのだ、本当は。なぜなら私が物を考えるとき、それはたいていは頭の中で文章を組み立てるような作業になってしまうから。まさに、キーボードを叩いて字を入力し、消し、挿入する作業と同じだ。そうして自分の考えを散文詩みたいに組み立てる。
間違っているとは思うのだ。思考のたびに文章を組み立ててばかりいるならば、私という人間は多分、せいぜい自分の書く文章程度の存在へと貶められてしまう。もちろん私の中には私の意識の及ばぬ思考の流れがあるはずだが、それを統合する意識が文章化してしまうことは避けられない……。
恐ろしいことに気づいた。こうして公開日記を書くというのは、私にとって自分の意識の存在形式を他人にさらけ出すことに他ならない。私の意識は私の書く文章でのみ、構成されているからだ。
人と会話するときは、文章を組み立てる思考をしている余裕はあまりない。表情や手振り、呼吸にまで気を使う必要があるからだ。最近、濃度の高い会話をする時間が多かった中、はっきり思ったのだ。キーボードを打って思考するやり方は、私という意識に悪影響を与えている。これから私は文章を書くことからなるべく離れ、人と会話をして生きていくべきである、と。
自分で書いてみてどこまで本気なのかよくわからない。
わからないが、しかし、何割かの真実を含んでいることは確か。私はキーボードを打って自分の思考の文章化されたものを垂れ流す行為にあまりに馴染んでしまった。
あー。志向だか、嗜好だか、思考だか。どれか分からん。 でもな、俺頭ン中で数字かぞえるねんて。 たとえば、1234,1234,1234て・・・。 これが掛け算だとか、車のナンバーを暗算してるとかなら、まだ進化してる?
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