ほんとうによくわからない。ぼくの印象で言うなら、どうやら「セカイ系とその周辺」が、SFマガジンの提唱する「リアル・フィクション」の中心を占めているように見える。
が、そもそもどういう基準なのかわからない「セカイ系」のその周辺を含めて何らかの呼称を当てる、というのは一体どういった行為なのか? リアル・フィクションとやらは誰のために作られた名称なのだろうか。謎である。
そういえば、誰かがどこかで「いつだって小説」という呼称を完璧に独自に編み出し、「ぼくはこの『いつだって小説』が大嫌いだ」みたいに述べているのを見たことがあった。その基準はというと
・『いつだって何々』という言い切りが文中に現れる
・主人公の思い込みは激しい
・祖父母が助け船を出しに現れる
・オカルトチックなものが心の支えになる
とかなんとか。なんのこっちゃやら。でまあ、「セカイ系」とやらもこのような恣意的にレッテル張りされたものとしか思えないのだが。
その「セカイ系」に関連すると見える「リアル・フィクション」もどこかの誰かの個人的思惑によってどんなものにでも適応できるよくわからない呼称といわざるを得ない。
何にせよ、SFマガジン7月号の巻末についている「2005リアル・フィクションガイド44」の不毛さは人をして心胆寒からしめるに十分であろう。一体全体どういう基準で選ばれたのかサッパリわからぬが、ともかく名作から極めつけの愚作までが(※こいつは私の個人的な評価だが)滅茶苦茶に取り混ぜられた書籍データが8ページに渡って続くのである。それらには、異様なまでに固定された、独善的な視点による紹介文が、いちいちご丁寧に付されている。
もしや、このガイド自体、ただガイドとして素直に受け取ってはならないのだろうか? 「リアル・フィクション」周辺の人々は何かややこしいことをいつも考え、記号の組み合わせによって恐るべき効果を与えようと狙っている様子であるから、この心寒い「ガイド」も実は計算された「作品」であるという可能性は、十分にありえるのかもしれない。
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