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もりげレビュー


  04年1月前半雑記 Date: 2004-01-02 (Fri) 

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雑記

1月1日
 今年もよろしくお願いいたします。

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 元日から店は開いてるし、新聞の正月版は年を追うごとに腑抜けになっていくし、初詣でも行かないことには、ほんとう年越しの特別な気分なんて味わえなくなっているのかもしれない。だからと言って人混みに出向く気は到底起こらないのだけど。

 でもま、破魔矢を持ってそぞろ歩いている老夫婦だとか、凧揚げをしてる小さい子どもづれの家族とか、確かに正月の気分は見つけようと思えば見つかるはずで。
 勝手に時間を区切って、色づけして、それに気分まで振り回されて生きてるなんてばかみたいだ。だけど、そうやって何もない場所から意味を作りだす人間の力が好きだし、んな理屈っぽいこと言う必要は本当はなくて、年が新しくなるという雰囲気は好きなのだ。それは多くの人が前を向く瞬間だからかもしれない。

 なら一年を一日と等値にすれば毎日が「明けまして」な言祝ぎに満ちた素晴らしい世界になる! ……そういうわけにもいかない。文化が人々に本当に意味のあるものとして信奉されるためには、それなりに人類の脳の性質に沿ったストーリーが求められるわけです。

1月2日
 昨年のベストをまとめるのに思い出しておこうなどとログを読み返したりしているのだけど、どうしてこんなに恥ずかしい文章がたくさん書けるのだろう。現在進行形で書き足しているところでもあるときた。

 本の感想なんかを述べている以上、ここは人に読んで貰うことを念頭において書いているとも思えるのだけれど、深更に及んでもうろうとした頭で綴る文章は、脳内の煮こごりのようなものをぐちゃぐちゃと引っぱり出してきてべたべた塗りたくっているだけであることが多いようだ。

 それらはあくまでもネタとして加工はしているつもりだけど、少しずつ書くことを積み重ねていくと、文章全体が表す意味論的空間は自動的に、自分でも思いもよらないほど、「自己表現」とかいうやつに接近していくのに違いない。

・・・
 いずれにしろ、毎日のようにウェブで文章を書いておいて、「自己表現なんてしたくない」などとのたまうのはそりゃ無理ってもんですな。ネタの選び方ひとつ取っても、それが蓄積されていけば自己表現へと辿り着いてしまうのだから。どれだけ理解されるかは別として。

 それでも、ログを読み返しながら、自分の文章が自分自身の思考のあり方と随分乖離しているような印象を抱くのも止めようがない。ネタとして加工している、その部分がかえって良くないのだろうか。それとも、文章に現れた嫌な感じの恥じ入るばかりの自分の方が、いま頭にある自己像よりよほど自分自身に近いのだろうか。

1月3日
 午後一杯使ってフーガを書いていたのだが、書いては消し書いては消しで5小節くらいしか進まなかった。あまりに能力が低い。酷すぎる。まあ、慣れの問題なんでしょうけど。

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 昨年の小説からベストを挙げてみます。国内・翻訳物とりまぜて10位まで。SFばっかり、しかも有名どころばっかり……。ほんとに10も挙げていいのだろうか。読書量はかなり少なかったような気がするけれど。
10位 山本弘『神は沈黙せず』
――――作者の「自己表現」が強すぎるなど突っ込みどころは多いけれど、大変すぐれたエンターテインメント。
9位 冲方丁『マルドゥック・スクランブル』
――――少女と、武器と、敵についての物語。カジノ勝負など、これほど緊迫感のある文章には滅多にお目にかかれない。
8位 川端裕人『せちやん 星を聴く人』
――――「SETI(地球外知的生命体探索)」と出会った少年の一生を駆け抜けるように綴った物語。切ない。
7位 中井拓志『アリス―Alice in the right hemisphere―』
――――災いをもたらす少女、というモチーフで認識の変容を扱ったハザード物ホラー。澄み渡ったラストが◎。
6位 田中啓文『忘却の船に流れは光』
――――絢爛豪華なまでの猥雑さは圧倒的。ときどき本を投げ捨てたくなるくらいのくだらない駄洒落も「らしさ」。
5位 グレッグ・イーガン『しあわせの理由』
――――当代最高のハードSF作家の手になる短編集。理系で、しかも哲学。ただ、『祈りの海』より落ちると思うのでここ。
4位 秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』
――――どこかと戦争を続けている日本が舞台のひと夏のボーイ・ミーツ・ガール。卓越した上手さのある書き手。
3位 テッド・チャン『あなたの人生の物語』
――――作者の発表した作品がすべて入っているという短編集。確かな質感を持った異世界を描き出す手腕がみごと。
2位 スティーヴン・バクスター『真空ダイアグラム』
――――億年を、億光年を飛び越える超絶のスケールで描く宇宙の年代記。バクスターを読まずに宇宙SFを語るなかれ。
1位 小川一水『第六大陸』
――――民間企業による月面での建設事業を描くハードSF。人類の未来への熱い希望と信頼、勇気。ジャンルの鑑。


 ブリン、深堀骨、牧野修なんかを入れられなかったなぁ。

 しかし、こうして今思い返してみると、読了直後と印象が変わっていたりして面白い。当時はあまり好意的に評価していなかったのに、美しい印象が強く残っているものが、『せちやん』など。逆に、読了直後はかなり興奮していたのに、さっさと印象が薄れているのが『神は沈黙せず』とか。

 1位小川一水は贔屓しすぎかなと思ったのだけど、これは『導きの星』の評価も併せて、ということで。

1月4日
「ねえ、街へ出ようよ。足、萎えちゃうよ」
「いや、でもさ、ほら、今日はなんだかおくびが止まらなくて気持ち悪いし」
「だから! それ、あんたがあんまり背中丸めて一日中座ってるから、内臓おかしくなってきてるんだよ!」
「げえ。それはヤバイなあ。……そういや、この間しばらくぶりに4つほど向こうの駅まで走ってみたら、喉の奥の方からねばねばした唾液がだらだらだらだら出てきたなあ。あれ、きっと体内に溜まってた悪い物だよね――」
「気色悪い話するな、バカ」
「気色悪い話題以外に話す内容がないよう」
「……あんた脳みそ黴びてるって! わたしはマジメにあんたのこと心配してんの!」
「…………ありがと。あしたは少なくとも散歩くらいはするから」
「絶対だよ」
「できれば走るから」
「よしよし」
「それで、ねばねばした唾液を――」
「もーそれはいいから!」

1月5日
 約束どおりねばねばしました。

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 人間というのは、じっと座ったままで過ごすようには出来ていないんだと思う。3万年も前に、アラスカからカナダへと渡った人々は、毛皮の服一枚で氷の上にいても平気だったのだ。想像にすぎないけど。
 6枚も重ね着していても、ぼっと座っていると、しんしんと冷えて手がかじかむ。電気ストーブがないと凍え死ぬ。生き方を間違えているからに違いない。事実、身体を動かしていれば、3枚くらいでもぜんぜん寒くないじゃないか。

1月6日
「学園生活」という感じの一日だった。

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 ダン・シモンズ『夜更けのエントロピー』読了。ハイペリオンシリーズで有名な作者の日本オリジナル短編集。ゾンビ、吸血鬼、ベトナム戦争にHIV、ともかく死の匂いの濃いモチーフが中心で、暗めの本になっております。
 ともかく「小説を読んだなぁ」という印象。それじゃ何がなにやら意味が分からないですが、この作者はSF者でも詩人でもなくて、何よりまず小説家なのであった、と。中心にあるのは、何かを表現することではなくて、何よりまず小説を書くということなのではないか、と。扱う題材は古くからある物でも、視点や構成の力でまったく新たな物語にしてしまう。

 たとえば、「最期のクラス写真」なんて、モチーフはゾンビで、構造はストレートな感動系教師物語。書きながら、こんなものを読まされる読者のことを思ってシモンズ氏は意地悪くほくそ笑んでいたに違いありません。表題作にしても、卑怯なほどの上手い構成で読者の不安を煽っていくテクニックをひけらかしながら、彼はやはり会心の意地悪な微笑みを浮かべていたことでしょう。

 個人的には「ケリー・ダールを探して」が非常にツボに入った。完璧に「えいえんのせかい」だな、これ。

1月7日
「仕事人間」という感じの一日だった。

・・・
 森見登美彦『太陽の塔』読了。ルサンチマンとコンプレックスと、妄想の日々。笑うしかないひねくれた鬱屈。きちんと美しいラスト。誰もが言うように、滝本竜彦に相通ずる物が溢れている。もし、滝本氏を知らなければ、手放しで絶賛してたかもしれない。

 ファンタジーノベル大賞のページに行けば、選考委員のことばなどがいろいろと読める。

 ここから、「過去の受賞作」へ飛び、第10回のリンクを辿ると優秀賞『青猫の街』の作者涼元悠一のプロフィールがあって、そこには
主にジュニア小説の分野で活躍中
と書いてある。直さなくて良いのか。

 などということはどうでもいいのであって、要するに――一部の顔ぶれそのものに文句をつけたいというのは置いといても――選考委員で滝本竜彦を読んだことのある人間はひとりもいないことが明白である、ということが問題なのだ。


 いっそ、小説賞の選考過程に、ウェブ上の反応を考慮に入れる、という段階を組み入れてみてはどうだろう。応募型の賞なのだから、最終候補選定の段階を、ウェブでの公開投票でやる。そのとき、感想も当然参考にする。

 ……しかし、候補段階でネット公開してしまうと、商品にならなくなるので、これは問題外なのであった。


 しかし、SF大賞のときにも苦言を呈したが、応募型でないのなら、ネット上での意見収集、あるいはファンダムによる投票、といった形で最終候補を選定することくらいはできるはずである。私は、辺縁より出現した優れた作品が、中央には存在すら知られることなく切り捨てられるような選考はあまり見たくない。

1月9日
 出かけておりましたので、昨日の更新はできませんでした。
 出先では、古い街並みや匠の技などを堪能して参りました。うーん、バナナワニ園に寄れなかったのが心残り。

・・・
 ただのバターキャンデーを「こいぐすり」と称して売っている、その袋が昭和の昔を思わす素晴らしいデザインで、購入してしまった。

 ところが、良く見てみるとこれは「ほれぐすり」ではなくて、恋煩いに効くというクスリなのであった。ということは、思い描いていたような、めぼしいおなごにこの飴とついでにムチも与えて甘くてハードな日常をこなし、バナナワニ園どころか恋人岬にも堂々と立ち寄ってやろう、というようなバラ色の未来はやってきそうもない。

 逆に、こんなクスリを嬉々として受け取る人々を前に、わたしはくちびるをねじまげて奇妙な笑みを浮かべることくらいしかできず、どんどん気分は落ち込むに違いないのだった。でも大丈夫だ。この世は、現実だけでできているわけではないのだから。

・・・
 CLANNAD発売延期が正式発表されましたが……2004年発売予定って、季節の指定すらありませんよ? いつになることやら。

 ↑は、2002年12月14日に私がここに書き付けた文章の改変コピペです。

1月10日
 駅前の通りに、左手にアンケート用紙、右手にエンピツを持った中年女性が何人も等間隔に立っていて、通りかかると女たちは
「煙草はお吸いになられますか?」
と柔らかに微笑みながら遠慮がちに尋ねてくる。しかし、遠慮がちなそのセリフが終わるより先に、左手のアンケート用紙は人の運動エネルギーを打ち消さんとこちらの鼻先へ突きつけられているのであり、その遠慮は見せかけのものであって、一匹でも多くの獲物を捕らえんと激しく欲していることはありありなのだった。
 道に居並ぶどの個体も、一定の範囲内に入ると、判で押したように「煙草はお吸いになられますか?」と用紙を突きつけてくる。それら中年女性の群れは、雑誌の付録にあるようなセンサーつきのロボットの展示みたいだった。俺がさっきあなたの手前の個体を振り切ってきたところだとわからないのですか、ときいてみたい気もしたが、目の前の人に声をかけるだけで手一杯でそんなの見ちゃいないんだろう。
 あんなに大勢で繰り出す必要がどこかにあったのだろうか?

・・・
 機本伸司『メシアの処方箋』読了。
 ヒマラヤの山奥から、5000年前のものと思われる「方舟」が発見される。中には蓮華模様が描かれた木簡が大量に収められていた。蓮華模様は何かのメッセージと思われたが……。そんな導入から、救世主を作ろう、という物語になっていく。

 大層な設定とは裏腹に、話のノリは適度に軽く、テーマへの回答の示し方も純朴で爽やか、すっきりと読める作品。DNA関係のネタは、最近になって次々に明らかになってきたエピジェネティック機構(従来の「遺伝子」部分とは違う機能)についての配慮がないため、少々鮮度が落ちてしまっている印象があるが、そういったハードな細部はどちらかと言うとテーマに説得力を与える道具として見るべきなのだろう。

 ともかく、神様なしに人の心を救済するにはどうしたらいいのか、という問いに、まっすぐにこういう答えを出してくれる物語があるというのは、それ自体が希望であり救済であると思える。輪郭のはっきりした、読後感の良いSF物語でした。

1月11日
 風が冷たくて、自転車をこいでいると耳が痛くなった。

・・・
 石焼き芋の販売車にはたまに変なのがいる。むかし良く来ていたのが、

「いっしやっきぃぃ、いもっのっ、じかんっだよっ! はーやーくっ、しないーと、行っちゃぁうよっ!」

 という脳天気な歌をがなりたてるやつだった。
 それがいなくなってから、近所にはあんまりそういう輩が寄ってこなくなって寂しく思っていたのだが、今日は新手の変態がやってきた。ただ「ヤーキィモッ、ヤキィモッ」(メロディーはシ、レ、ミの3音だけでできている)と繰り返し歌うだけなのだが、どうきいても歌手は日本人ではない。というより、曲自体おかしい。どうも、キューバ音楽あたりを意識して作っているようだ。しかし、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの大ブレイクに便乗するにしては、あまりにも時期を逸したとしか言いようがないと思うのだが。

1月12日
 ヘッドホンが折れた。踏んだりしたわけでもないのに。
 接着剤ではくっつかない。「ポリプロピレンにも対応!」のプラスチック系専用品でも駄目だ。接着面が小さすぎるのだろう。仕方がないのでガムテープでぐるぐる巻きにして使うことにしようと思う。あーあ。

・・・
 朝乃若関の引きは立派な技なんだ! 省エネ相撲とか言ってけなすんじゃない! ちなみに今日は突き落としで勝ったよ。

1月13日
 今回は、わたしがどれほどの萌えキャラであるかをお話しようと思います。

 今日は、朝から晩までバイトをしてました。実りのあるお仕事とは言えないけれど、一応は自分の特殊技能を活かせるもので、時給にして1500円にもなろうというのですから、小遣い稼ぎと割り切ってやればそれほど酷い条件でもないでしょう。わたしは頑張りました。時間を追うにつれ空しさも募りましたが、一日中しっかり働けば、それなりの充実感もあるものです。すいたお腹だって頑張った証。空腹感すら好もしく思いながら、仕事場の主に別れの挨拶をしたのでした。今日のお仕事はおしまい。

 でも、そこからがいけなかったのです。仕事場のある建物の扉を開けて外に出たその鼻先は、街路灯の明かりも届かないような闇でした。

 闇への恐怖を忘れるべきではなかった!

 今わたしの出てきた建物からは、大勢の若者たちが吐き出されてくるところで、談笑しながら歩いてくる彼らにつられるように、わたしは軽い気持ちで闇の中へと歩を進めてしまったのです。

 今、みなさんのお手元に『エルフェンリート』の1巻があるのなら、20ページを開いてみてください。どうでしょう。実際に開いてみた方は、その中央付近のコマに、

「ビターン!! ズサーッ」

 という擬音を発しながら倒れ伏している女性の姿が、極めて写実的に描かれていることに気づかれたはずです。


 ――それが、わたしなのです。


「ビターン!! ズサーッ」

 実際にこれくらいの倒れ方をすると、怪我をします。わたしは、幸いズボンを破いたのと手のひらに小石がたくさん食い込んだくらいですみましたけど、なんだか情けない気持ちでした。暗かったから、顔なんかは見られてないと思います。良かった。


 さて、わたしが萌えキャラであることは理解していただけたことでしょう。頑張りやで、ドジ。ちなみに眼鏡もかけてます。わたしがあと5つばかり若く、女性であったなら、世の男性のハートを射抜きまくりだったことでしょう。

 あ、転けたのは足下が暗くて地面の凹凸に気づかなかったせいで、決して自分の足につまずいたわけではないので、その点は少し減点すべきかもしれませんけど。

1月14日
 新年会という名目で飲みに行ってきた。授業の一環で、単位取得には必須なのだ。あしたが本番なのに、先生じきじきのご指名で二次会まで。熊本の米焼酎「鳥飼」うまい。焼酎は詳しくないので、これからいろいろ試そうと思う。

・・・
 帰路、黄信号の点滅する夜半の交差点を自転車で東へ走っていると、下弦の月がぼっかりと、切り口を上に向けた一切れのメロンのようにして空に光っていた。こんな時間になって、のっそりのそのそ昇り始めたところなのだった。
 皿の上のメロンみたいな姿のまま、切り口を上に向けた姿のまま、のろのろ、ずるずる、あそこまで上がってきたのだと考えると、なぜだか無性に笑いがこみ上げてきて困った。それは出来のいい冗談に対する笑いではなくて、出来の悪すぎる冗談に対しての半ばヤケな笑いに近かったようだ。この世がどんな類の冗談だとしても、あんまりセンスに溢れた作品ではなさそうだ、などと考えていた。たぶん、自分の思っている以上に酔いが回っていたのだろう。

1月15日
 しっぱいもあるさ。というような一日だった。

・・・
「いいコートですねえ」
 と、その後輩は言った。ちょっと嬉しかったけど、それは気が早いというものだった。
「ぼくのももう少し長ければいいんだけど」
 彼はコートの裾をつまんでそう続けた。彼にとってコートの品質というのは、裾の長さが足りているか足りていないか、というレベルのものに過ぎないのだった。

 そうだよなあ、そういえばぼく以上に彼はファッションセンス皆無なんだった。誉められたってまともに受け取っちゃいけないことくらわかってたはずなのに。

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