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もりげレビュー


  03年11月後半雑記 Date: 2003-11-17 (Mon) 

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雑記

11月16日
 浜離宮朝日ホールにおでかけ。朝日新聞の本社ビルの中なのに、日経新聞を平然と広げて読んでるおじさんがいたのでびびった。生きて帰れたのだろうか。

・・・
 ピーター・ゼルキンの弾くベートーヴェンのディアベッリ変奏曲をテレビで鑑賞。生で聴きたかったなぁ。こういう、まさに神の降臨したような演奏を目の当たりにすると、世界に通用するまでになってやろうという意志が脆くも崩れ去るのを感じる。行けるのか、あの場所まで……。

・・・
 どうでもいいんだけど、毛細管現象って、液体が表面張力によって管の細い方へ吸い出されるように移動することなんであって、コロッケの衣から液面に向かって油が流れ下るのはどう考えても「毛細管現象」と呼称することはできないと思うんですけど、俺まちがってますか?

11月17日
 まず、ここにある2枚の写真を見てきていただきたいんですよ。



 見ましたね? 術前と術後を見比べると、実にきれいにホクロが消えてます!



 このクリニックは電車の車内広告も出していて、この2枚はその広告にも用いられていました。それを見て、以前から気になってたんですが……何しろ交差法で2枚の写真を重ねて見ると、ホクロがハレーション起こすほかはぴったり重なるわけで。つまり――

同じ写真だよ、この2枚……

 いや、いくらなんでも気づかれないと思ってやってるはずはないですよね。にもかかわらず、わざわざこうやって写真を加工する苦労をしたのには、いかなる理由があったのでしょうか? まさか、実際に利用できるような本当の術前、術後の写真が一枚もないということなんでしょうか? 意図が読めないだけに、この広告を目にするたび、私は日常へと進入するかすかな狂気の軋みを聞き取ってしまったような、そんな軽い恐怖に襲われるのでした。

11月18日
 山尾悠子『ラピスラズリ』読了。ちゃんと読んだのはじめてです、この方の作品。「冬眠者」――名前のとおり、冬眠する人々――をめぐる連作短編。ことばのきらめく様というのは昔から好きで、世界観と文章とが切り離せない関係にあるタイプの作品を読むのが久しぶりなこともあり、胸にしみた。ぼくも冬眠したいなあ。世界に満ちる輝きに再び気づくために。

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 自ら欲するでもなく自然と幻視してしまったものを、自分でもわけがわからないままに綴る、というタイプの作品も世の中にはあって、特に幻想小説の類はそのような性格を持っているのではないか。そんなことも思った。

 そういうことを考えていると、『灰羽連盟』を思い出すことになって(画集もうすぐですか)、安倍氏はまさにあの作品を「何も考えずに描き始めた」と語っているわけなのだ。そういうものが、あれほどに痛切な情感を受け手に与えてくれるというのは(放送当時のわたしのハマリ様はこの雑記にも如実に反映されている)、何かを表現するということの意味を信じる力になる。

 ついでに書いてしまうと、麻枝准氏が、「自分を支えてくれた作品」として挙げた中に灰羽が入っていたのを見て、自分が彼の作品に対して持った共感にはやはり意味があったんだなあと思ったりするのでした。

11月20日
 clannadって造語だったんだ。はじめて知った。
Clannad was originally named 'an clann as Dobhar' meaning 'family from Dore.' The name was latter shortened to 'Clannad.'
 (バンドのFAQページより)
 だそうで。大丈夫なのか……?

・・・
 卒論に用いる絶対音感に関する実験に協力してくれ、という他大学の方に協力してきた。久しぶりに聴音のテストみたいなことをやらされたのだけど、さっぱりできなくて落ち込む。(聴音というのは、曲を聴いて五線譜に書き取る試験と思っていただければいいです)
 聴音の他にもやらされたものがあるんだけど、そこでサン・サーンスの『動物の謝肉祭』の「白鳥」がMIDI演奏された録音を聴かされる場面があって、あれには参った。ちょっとテンポを揺らして音楽的にしよう、というような工夫すらまったくなかった。調性がどうのとか以前に、あれほどの美しい歌心のある曲が機械で演奏されているという事実だけで、気持ち悪くてしかたがない。

11月21日
 ヴァイオリン・リサイタルに行ってきた。曲を掌握し、また構成力のある、男気あふれた(?)演奏で、すばらしかった。

 会場では、フランスにいるもんだとばかり思っていた先輩と会ってびっくり。音楽院の入学試験が、向こうの事務だかの手違いで受けられなかったのだ、と言っていた。さらっと話していたけど、かなり泣きそうな事態だと思います、それ……。ちなみに、パリという街は物騒だし汚いし、電車も遅れて当然だし、そんな感じなのだそうだ。


・・・
 電車の中で、『誰も知らない小さな国』を手にした小学校高学年と見える少女が、弟に「この本おもしろいよ。読んでごらん」と愛に満ちた笑顔で話しかけていた。その横で、俺は牧野修の「インキュバス言語」を読みながら笑いをこらえて肩をふるわせていた。俺も『誰も知らない小さな国』をわくわくどきどきと読んでいた時代があった。どこでどう間違えてこうなってしまったのだろう?

11月22日
 歌の合わせに。ミルテの花の第一曲、'Du meine Seele, du mein Herz'という歌詞(君こそ我が魂、君こそ我が心――)から始まる「献呈」、そのわきあがる喜びと陶酔と少しの切なさを見事に表現したシューマンの音楽。曲の構成の素晴らしさを歌い手の女性に熱弁していたら、ちょっと笑われた。
 まあ、そうだな。恥ずかしいばかりの恋の歌に心底共感してるっぽい男がそばにいたら俺も笑うし。あああ、なんであんな熱弁したんだ、俺……。
 しかし、そういう音楽をやる立場である以上はそれでいいんですよ! ……ということにしておこう。

 今は――というよりはこのところはずっと――ブラームス的な気分ですけどね。

・・・
 トリックの録画を見た。ばかばかしいギャグ、いかがわしいトリック、そういうハリボテの隙間から垣間見える(ような気がしないでもない)人間の悲しさ、のようなもの。今回はそれらを全部見せてもらった。番組のあるべき姿が戻ってきた感じで、良いエピソードだった。

11月23日
「うわあぁぁ時間がない時間がない間に合わない」
「……」
「あああああ、大変だ大変だ、時間がない!」
「……あんたねえ」
「――へっ?」
 彼女の声は随分と低くてドスがきいてて、妙に内に力がこもった感じでふるふると震えを含んでいて、なんだかあんまり耳に心地よくないなあ。そんなことを考えてたら、彼女はぼくの耳をひっぱりながら怒鳴りだした。
「それが昼間っからパソコンの前に平然と座り込んで言う台詞か、ぼけ!」
「ひっ、い、いや、でもほんと時間ないし――」
「つべこべ言わずにさっさと練習せんかあ!」
「は、はひっ! わかりまひた!」
 最近彼女は随分と暴力的になったと思う。でもそれはぼくが悪いんであって、なにしろ言ってることとやってることがさっぱり一致してない。口では「がんばろう」と言いながら、身体はいつのまにか寝ころんでたりする。そばで見てりゃ腹が立つに決まっていた。
 彼女のこともほとんど構ってやらないしな、最近。怒鳴る姿もちょっと空元気みたいに見える気がして、切ないような気分になる。折に触れ怠惰な自分を戒めてくれる貴重な人格だけに、大切にしなければ。脳内会話モードにさく割合をもう少し増やしておくか。

 あしたからは君の言うことをきいて、まじめに頑張ります!

 今そう書きつづったのを見て、彼女はぼくの脳内でうんうんとうなずいて笑ってくれた。

11月24日
 合わせで学校。なんでこんなにトリルが不得手なんだ、わたしは……。

・・・
 牧野修『楽園の知恵 あるいはヒステリーの歴史』読了。SFバカ本などの収録作を集めた短編集。なぜか、第一章「診断」第二章「症状」第三章「諸例」第四章「療法」と銘打たれて、連作っぽくなっていますが、「療法」なんてどこが療法なんだかさっぱりわからず、最初から最後まで妄想と毒と電波で満ちております。書き下ろしは一編だけ。それも「付記」という位置づけで。

 しかし、改めて読むと笑える作品が多い。「インキュバス言語」――“中年男性の性的妄想を核にした言語”を授けられる話。「演歌黙示録 エンカ・アポカリプシス」――実は神秘主義と深い関係にあった演歌の話。“おっぺけぺー”が“オー、エー、ヘー、イェー”(ヘブライ語で「おお、私は在る」)の音便だ、なんてくだらん話はここでしか読めません! 薔薇十字団からの魔術関係の歴史のパロディになっている演歌の歴史解説にも注目だ! 「踊るバビロン」――生体建材が暴走した島の話。だけじゃ意味わかりませんが、ともかくこの作品の中で「脳内に流れ込んでくる物語」の冒頭のインパクトと言ったらない。とてつもなく引用したい気分なのだが、引用するとインパクトがなくなってしまうだろうから書かない、読んでくださいお願いしますとしかいいようがない。

 とにかく、異様なまでの言語感覚の冴え――それも「妄想」としか言いようのない光景をリアルに描き出すための――で、牧野氏に及ぶ人などいないでしょう。濃密な異世界幻想。未読が多いのなら、一読をおすすめしたい一冊ではあります。私はといえば既にほとんど読んでいたので残念な気がしなくもなかったけど。「召されし街」など、古い作品が収録されているのは高ポイントか。

11月25日
 びっくりするほど雨がたくさん降って、しかも途中から風まで吹いたものだから、用事で随分と外を歩かされた私の靴はぐっしょりと濡れてしまって、もちろん靴下まで水はしみてきた。今日いちばん印象に残っているのはそのことなので、要するに今日という日が長期記憶に残るとすれば、それは「靴下に水がしみた日」として、ということになる。どうでもいい人生だな。

 そんなことを書きながら今、濡れたスニーカーに新聞紙を詰めておくのを忘れていたことに気づいたわけだが、人々が寝静まった夜更けにひとりスニーカーにせっせと新聞紙を詰めるのはいかにも妖怪じみているし、そもそもそんな言い訳をしなくても今更そんな作業をしたくない、寝る前に手が臭くなるのはいやなので。いや、俺の足は臭くなどないぜ。

・・・
 教員免許申請の宣誓手続きというのがあった。これは自分が禁錮以上の刑になってたり禁治産者になってたりしないこと、要するに教員の欠格事由に該当するような人物ではないことを誓うという行為であるらしい。

 まあ、それはどうでもいい。

 問題は学校の事務である。何しろ、私は今日たまたま合わせで学校に赴き、しかもたまたま宣誓手続きの行われている会場を通りかかって、そうして初めてその手続きの存在を知ったのだ。確かにあとで確認してみたら、掲示板のいちばん下の方に申し訳なさそうにはみ出して告知が張ってあった。張ってはあったが、あれは先週見たときにはなかった。それで、手続きの実施時間ときたら今日の11:30〜12:30の一回だけ。こっちは毎日通ってるわけでもないのに、そんな大切な、たった1時間のチャンスについての情報を前日からしか掲示しないのである、やつらは。

 あのなあ。今時ネットでそういう情報出すくらいのサービスしてみたらどうなんだ。なんのためのホームページだ。春には授業開始後にシラバスが刷り上がるという失態を見せてくれたし、仕事する気がないとしか思えない。つくづくしようもない教務係である。

11月26日
 17時を過ぎればもう真っ暗で、クリスマスの飾り付けがされた街はすっかり冬の装い。ぼくも初めてコートを衣装箪笥から引っぱり出して、冬の装いで歩いた。南西の空の隅っこにようやく引っかかるようにして、針みたいに細い月が出ている。爪の間に刺したら痛そうだなあ、とそんなことを思った。
 昨日が「靴下に水がしみた日」なんてのはとんでもないことで、あの文章を書いた後が本番だった。自分は、何も見えないくせに人の思いを踏みにじり、あまつさえそれが相手のためだと主張するようなクソ野郎であるということを痛いほどに認識させられた。だから、そのあと「ぼくはばかです」と108ぺん心で呟いて泥のように眠った。

 ぼくが壊した物はたぶん戻ってこない。たくさん話したことは、その償いに匹敵するだろうか。しないだろうな。

 心がそんな状態でも、今日はヴァイオリンとの「春」をやる日だったんで、終楽章のロンドを弾いていたら幸せな気持ちになれた。幸せな気持ちになって構わないのかどうか、ぼくにはわからなかったけど。

11月27日
 日曜日に、竹林氏がお亡くなりになっていたそうです。彼のシナリオはTo Heartでしか読んでいないし、個人的にそれほど思い入れがある作家でもないけれど、「超先生」といったらその名前だけでどこかしら親近感があったものだから、なんとも……

・・・
今月のSFマガジン

 スタニスワフ・レム特集が結構熱い。レムを批判した形の評論なども掲載されているが、インタビューなどを読むとやはり彼は知の巨人であるなあと。『天の声』『枯草熱』あたりでも読み直してみようかと思いました。

 浅倉久志氏の翻訳短編連載第一回、タナナリーヴ・ドゥー「患者第一号」、その患者の少年の視点(というより全編その子の日記という体裁なわけで)から語られるラストのイメージがあまりに切ない。しかし、これ、日記の日付と内容が明らかに矛盾してたり日にちが前後してたりするのはミスなんですかね? よくわからない。

 友成氏は、自分の殺したい相手を全部殺すミステリを書いてすっきりしたい、いまその話のプロットを練っている、とか書いてますよ……。本当に、それが救いになるのなら是非とも書き上げていただきたいものです。

 『膚の下』が最終回だったりもするのですが、連載は基本的にほとんど読んでないので、そちらは本にまとまるのを楽しみにというところ。

11月28日
 一歩も外出せず。暗譜が間に合わない。

・・・
 インターネット社からSSW8.0VS(オーディオ&MIDIシーケンスソフトです)へのバージョンアップを薦めるダイレクトメールが来た。使い勝手はなかなか良さそうだし、機能は随分と充実してきてて、たまたまSSWを選んだだけのユーザーとしてはここまで発展してくれてなんだか得した気分。だけど、今ぜんぜんそっち関係を触ってないこともあるし、何しろ既に私のボロPCのスペックじゃ動かせないことになっている。次の製品が出るまで待つかな……。

11月29日
 宇宙開発は前途多難ですなあ……_| ̄|○
 打ち上げそのものが、というのがどうにも。ああああ。

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 養老×古館の番組でジーニーの映像見てたら泣けてきた。親に13年間監禁されて育った女の子。笑うようになったころの彼女はやたらと可愛くて、見てる方が幸せになりそうなくらいなのだ。ところがまあ、そんな彼女の幸せは続かなかったわけで。どうして本気で救おうという人がいなかったのか、よくわからない。

・・・
 そろそろ本気でヤバイので、自分に喝を入れておこう。
「あしたは日中パソコンの電源入れちゃだめだからね」
「はい」
「あと昼寝を4時間とかするのもなしね」
「はい」
「じゃあ今日はもうさっさと寝なさい」
「うん、おやすみ」

11月30日
 約束ってものは、たとえそれが猫と交わした約束だろうが、守るべきものだ。すぐ上にある、昨日わたしが交わした約束の相手は猫ではなくて脳内彼女、れっきとした人間だ。だからまあ、余裕で守りましたとも。

・・・
 昨日のことがあったので、『言葉を知らなかった少女 ジーニー』をぱらぱらと見てみたけれど、研究プロジェクト頓挫のときの経緯や、里親を担当していた科学者らのジーニーに対する思いなどは、どこにも書かれていなかった。……研究書なのだから、当然だった。


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